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イエス先生が私を癒してくださった!
ロマニア主事への証しから
アジア・アウトリーチ・カンボジア
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私の名前はペン・ターです。52歳で、カンボジアのLvea Em地域で暮らしています。妻のイン・シナとの間には7人の子どもがいます。農業で生計を立てていますが、家族全員を養うには不十分ですので、4人の子どもしか学校へ行かせてあげられません。以前は前立腺の腺腫に問題を抱えていました。村にある健康センターに何度か行きましたが、スタッフは病状を改善することが出来ませんでした。病状がひどくなり、助けを求めて健康センターへ行ったところ、アジア・アウトリーチ・カンボジア(AOC)を紹介されました。AOCはすぐに私と妻、幼い子どもたちをプノンペンにある病院に連れて行ってくれました。
医者の先生には手術をする必要があるので、数日間病院で待機し手術を待つように言われました。何日か待ちましたが、先生は手術日を延長するだけでした。痛みはひどく、私は本当に苦しんでいました。また、食べ物や薬を買うお金も無くなってしまいましたので、家族の元に帰って家で死んだ方がましだと考えました。
この間、AOCのスタッフは2日毎に病院を訪問してくれました。彼らが私たちの村に住む人々の必要のために祈ってくれていたこを思い出しました。そこである日スタッフが私を見舞ってくれた時、私の問題のために祈ってもらえないか頼みました。すると彼らは親切に祈ってくれました。祈り終わった後、彼らは私を励まし、神様の力は私を癒すことが出来ると教えてくれました。その夜、私は一睡も出来ませんでした。前立腺の痛みはさらにひどくなりました。うめき声が出せるようトイレに行きました。そこで苦しみうめいていた時、AOCスタッフが話してくれた神様の力のことを思い出したので、病院のトイレで1人祈り始めました。すると尿意を覚えたので用を足すと、親指ほどの大きさもある石が出てきて、痛みが突然消えたのです。その瞬間、嬉しさのあまり私は叫び、1人神様を賛美しました。真夜中でしたが病室に戻り、荷物をまとめて村の家族の元に帰る用意をしました。
その翌朝、医師に退院させてくれるよう頼みました。すると「手術を待たなければだめだ」と言われたので、「本当にありがとうございます、でもイエス先生が昨夜トイレで私を癒してくださいました」と答えました。先生は私の言っている意味が全くわからない様子でしたが、私にとっては、祈り求めた時にイエス先生が私を癒してくださったことは明確な現実でした。村に帰ると、病院で起こったことを家族に話し、その石を見せました。
ロマニアは記しています:
ターが帰宅した翌日、AOCスタッフは隣村でSIG(Special Interest Group。AOCが行うクリスチャンの働き)ミーティングの働きを行っていました。するとターが隣人とやって来て、証しをしてくれたのです。そこにいた全員が共に神様を崇めました。それ以来、ターはこのSIGミーティングにも毎回集うようになりました。
ターの証しは彼と同じ村に住む48歳のソク・カーンの心に触れました。彼も7人の子どもがいる農夫です。ターの証しによってカーンもイエス・キリストを受け入れ、同じSIGに来るようになりました。以来2人とも忠実に参加し続けています。
毎年AOCでは村々へのクリスマス・アウトリーチを行います。今回はSIGメンバーに自分たちで企画遂行を行うよう励ましてきました−これによって村人たちへ伝道する経験と自信が得られるようにです。ソク・カーンは組織委員会の書記に選ばれて、大喜びです。
ター、カーンと残りのSIGメンバーは、クメール人の伝統楽器を用いて神様を賛美できるようになりたいと願っています。ターとカーンは、自分たちが伝統音楽訓練に参加し、教師を雇い、楽器を購入するための必要が与えられると信じ、また全てのクリスチャンに祈りを呼びかけています。習得した技術によって楽器を用いた賛美ができるようになるだけではなく、結婚式や祝宴で演奏することで特別収入を得て家族を助けることができるからです。
www.aocam.org アジア・リポートNo.176
21世紀に中国教会と手を取り合って…
ディビッド・ワング
1949年以来、中国の教会は長い道のりを歩んできました。その頃100万人の信徒がいました。70年代に竹のカーテンが開かれ始め、厳しい迫害にも関わらず中国の教会が文字通り爆発していたことを目の当たりにし、外部の観察者は驚きました。今日中国教会には少なくとも7,500万人(1億人と言う人もいます)の信徒がおり、明確な宣教意識を持って成熟しています。
中国の教会は全ての範囲をカバーしています:
· 政府公認の三自愛国教会が13,000以上存在し、そのほとんどは都市部にあります
· ダイナミックで宣教に開かれた、非公認の家の教会数は数十万にのぼります−大部分は田舎地域に建てられています
· 家庭集会の数は、誰も数えることのできないほど多くあります
· あらゆる種類の外国人集会が、いたる所で生まれています
素晴らしい知らせは皆が成長しているということです;そしてアジア・アウトリーチ(AO)はこれら全ての教会と共に仕えています。
1990年代から、AOの支援方法は中国へ、とか、中国で、から、中国の教会と共に仕える、に変わりました。彼らは成熟するにつれ、外部からの恩恵をただ受けるだけではなくなりました。そこで御国の拡大のために彼らと共に仕えるようになったのです。
AOの焦点は、教会とパートナーを組み、彼らの献身と下記のようなゴール達成のために力を与えることにあります:
· 中国の未開拓地や国境地域に住む少数民族に福音を伝える
· 世界の最果ての地域まで、中国から福音を届ける
これは今では我々と中国教会との共同責任となっています。我々は中国教会のビジョン達成のためにパートナーとなって献身しています。2005年から2010年の間、AOと中国教会の協力関係は“指導者に力を与え、働き人を整える”ことに焦点を当てています。
指導者に力を与え、働き人を整える
中国の教会は次の点を具体的に強調し、一層戦略的な方法でこれを行うよう我々に求めています:
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トップレベル指導者の訓練:設立者からチームへの指導権の移行は、今日の家の教会運動において重大な危機です。この訓練は、伝道や宣教の組織化、指導者の育成、指導権の継承、バトンの引渡し、確執の解決などといった実際的かつ応用的な統率力に専念しています。
可能性を秘めた宣教師候補者の訓練:これは若い指導者が英語、イスラム文化、世界のその地域における宣教史、聖書的観点を学び、またシルクロード沿いにある国々に福音を届けるための備えをする訓練です。これまでに59人の候補者が様々な単位を修了し、6人が更なる訓練のためにアフリカ、アラブ首長国連邦、フィンランドへ派遣されました。彼らこそ“見なさい、中国人たちがやってきますよ!”という動きの初穂です。
子供伝道者の訓練:中国の13億の人口では、15歳以下が最大の年代です。彼らの両親は無神論で洗脳されていますが、これらの子供たち、また青年たちは今、宗教の全般的復興にさらされています。中国の若者は特にキリスト教に興味があります。実際、中国の高校での2004年推薦図書リストの第1位は“聖書”でした!家の教会指導者たちは、子供/青年のための働き人に刺激を与え、命を与え、訓練してほしいと依頼してきました。我々の戦略は:都市の向上;中国の祝福;世界へ、というものです。一都市を基盤にして、2010年までに少なくとも2010人の子供/青年向け同労者を訓練し整えるのがゴールです。これまでに中国と香港で500人以上の働き人が訓練されました。2006年4月には、他の地域からの働き人のための最初の訓練が行われました。中国中から150人以上が集いました。
職場で証人となるための指導者訓練:今中国では、膨大な数の専門家、知識人、政府高官、上流階級層がクリスチャンになっており、第3の教会を形成しています。三自愛国教会でなく、家の教会でもない、若い信徒たちによる新鮮で活気に満ちた運動です。我々は国内規模の社会変革プロジェクトや、今日の中国人“ヤッピー”たちに伝道する益々効果的なアプローチをしながら、より良く仕えていく方法と手段を戦略化しています。AOは次の内容で第3の教会に直接的に関わっています:
· 仕事場でのリーダーシップ育成
· 壁の無い教会設立
· 24時間/7日間どこでも礼拝する
次世代を訓練する訓練者の訓練:地下聖書学校は働き人不足によって、80年代後半に始まりました。今では中国内に数百の学校が散在していると言えるでしょう。
今年初頭から、このような学校を40以上進めている家の教会運動に手を貸して、カリキュラム組織化を図り、指導教材の供給を行っています。今後2年間は、訓練者のための訓練プログラムを開始するよう依頼を受けています。こうして訓練を受けた訓練者は後に自分が所属する運動で他の者を訓練し、プログラムは別の地域へと拡大されていきます。このように中国中で人数が倍増していくのです。
それが21世紀における協力関係なのです。
アジア・リポートNo.168
スリランカからのゲスト、ジェイコブ・ラトナム師を迎えて
クリスチャンウェイ
和田天平牧師
2006年9月8日(金)、第2列王記6章より、預言者エリシャの弟子の一人がヨルダン川の近くで木を切っていた時、あやまってオノの頭を川の中に落とした時、エリシャは神の声を聞きすぐに一本の木を投げ込むと不思議にもオノの頭がうかび上がった、という所からオノの頭(私達に与えられていた力、責任、働き)をうっかり見失ってしまったとしても、もう決して帰っては来ないとあきらめず、神の御声を聞くとき、神は1本の木(十字架)を啓示して下さる。私たちが主の十字架に帰る時、すべて失われていた力や働きや責任は超自然的に回復するのだ、と教えられ大変感謝でした。又、師により、一人一人務めを受け、満たされました。
佐々木博音兄
私たちの教会に今主が語っておられること、それは「教会よ。目を覚ましなさい。」だとラトナム師は言われました。リバイバルを妨げているのは世ではなく教会である、今までにない迫害がこれからやってくると。
師のメッセージにおいて分かち合われた聖書箇所の中で「預言者のともがらが、エリシャに対して、住んでいる場所が狭くなったので新しく住む場所を作りましょう」という場面がありました。私は、現状に満足するべきでない、また教会の中だけの仲良しごっこに今まで甘んじてきたのではないかと感じ悔い改めました。
ラトナム師の来会された後の日曜礼拝でのことです。新しい若者が来たので食事を一緒にして主を分かち合えないかと思いました。しかし私の中には何も力が無くうまく会話を進めることさえできませんでした。今まで自分は教会の中でクリスチャンには仕えてきたかもしれないが、はたして未信者に対しての負債を払ってきたのかどうか疑問に思いました。そして主を改めて求めました。その後、ある若者が主を信じ救われました。そのことによってクリスチャンホームの学生の中からも汚れた会話が減りはじめています。自分自身も、彼が救われたことは何よりもうれしく感じました。クリスチャンの存在意義の一つは確かに救い主をご紹介することだと再確認しました。
最近日曜礼拝の説教の中でも、信徒に対して伝道的になるようにとの働きが強くなっています。牧師先生方の説教や言動をはじめ、この教会が外向きに変えられ始めていると今肌で感じています。
岬福音教会 藤田泰三牧師
秋の気配が感じられるようになった9月15日、私たち岬福音教会にアジア・アウトリーチ吉田隆先生のご紹介で、スリランカからジェイコブ・ラトナム先生をお迎えし、ミッション・ナイトを開催しました。
私たちの教会は大阪の最南端に位置している人口1万9千人の岬町にあります。大阪で最も老齢率の高い町で、産業もなく人口も減る一方なのですが、教会には若者も集い、お年寄りと共に主を崇め、たたえ、喜びをもって、賑やかに、礼拝をささげています。
こんな田舎の教会ですが、神様は常に外国からのゲストをお送りくださって、私たちの教会を恵み、励まして下さっています。今回のゲストであるラトナム先生もその中のお一人で、私たちは期待して、祈って待っておりました。
今まで世界で用いられている多くの先生たちが、私たちの教会を訪れてくださいましたが、先生方に共通して感じることは、聖さと誠実に満ちていること、情熱とそしてユーモアのセンスが豊かであるということです。今回もラトナム先生との交わりを通して、先生の内にこれらの先生方に共通した素晴らしい特性を感じました。
先生はスリランカの様子をDVDで紹介してくださり、特に津波の被害の様子などをつぶさに眺めることができ、私たちの心にさらに祈りが必要であることを覚えました。メッセージはネヘミヤ記から「ネヘミヤかハナニか」と話され、私たちは神様のビジョンを頂いてこれを人々に伝えるネヘミヤか、それともそのビジョンを具体化するために働くハナニのいずれかになるべきなのだと迫られたのです。
先生との良い交わりと、雰囲気によって、スリランカという国がますます身近になってきました。先生を紹介してくださり、お送りくださったアジア・アウトリーチにも深く感謝いたします。
紀ノ川キリスト福音教会 酒匂一己牧師
今年4月の中ごろ、アジア・アウトリーチの宣教師吉田隆先生から突然お電話がありました。9月にスリランカからゲストが来るので、私たちの教会で集会をしていただけませんか、とのことでした。それも他の教会に連絡する前で、私たちが希望する日を取れるということでした。私の55歳の誕生日2004年12月26日の津波によって大きな被害を受けたスリランカということで心に感じるものがありました。それで、9月24日の礼拝メッセージをしていただくことになりました。
9月24日ジェイコブ・ラトナム先生と吉田隆先生のお二人が車で来てくださいました。吉田先生から頂いていたラトナム先生のプロフィールに写真もありましたので、巨漢のイメージを持っていましたが、お目にかかるととってもスマートな柔和な印象を受けました。礼拝のプログラムチームとの相談で、通訳も入るから通常の礼拝よりもメッセージの時間を多く取れるようにしていましたが、教会とスリランカを紹介してくださるパワーポイントのスライドがあるということで、礼拝直前にさらに時間調整をしました。
プレ賛美の後、角笛が鳴り響き礼拝が開始されました。サインダンス、賛美、献金と礼拝が進み、通訳の吉田先生と共にラトナム先生を講壇にお迎えしました。まずスリランカの国情、その中にあってキリスト教会がどのような状況か、またラトナム師の働きについてパワーポイントを用いて吉田先生が説明してくださいました。民族抗争による内戦や、仏教徒からの迫害のある中で、キリスト教会が力強く成長していることやライトハウス教会が地域に良い働きをしていることを聞いて神様の御名を崇めました。
その後ラトナム師がエレミヤ書35章から『一つの決断』と題してメッセージを取り次いでくださいました。メッセージは分かりやすく、聖霊の油注ぎのある力強いものでした。「神の御声を聴き、その御声に従順して聖い生き方をする、この一つの決断をしなさい。」と、エレミヤ35章のレカブの子ヨナダブの子孫の従順や、先生自身の献身や体験の証を交えて語ってくださいました。8月から神の御声を聴き、従うことをシリ−ズでメッセージしてきましたが、さらにそれを補強するように主がラトナム師を通して語ってくださいました。主が神の器を遣わしてくださったことを感謝します。
アジア・リポートNo.169
〜モンゴル宣教ツアーのご案内〜
日程:2008年6月30日(月)〜 7月9日(水)
費用:185,000円(予価)最少催行人数8名
内容:都市&田舎の教会訪問(交わり・証し・祈り)、観光
引率:吉田隆師(アジア・アウトリーチ宣教師)
詳しくお知りになりたい方、申し込み用紙をご希望される方は下記にご連絡ください:
電話/ファックス: 075-791-3488 aojapan@gol.com
アメージング・グレイス−驚くばかりの恵み
ロウエン・レモン
アジア・アウトリーチ・ジャパン主事
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日本の三味線にも似たモンゴルの伝統的な2弦楽器、馬頭琴を持ちながら、アルタントゥグは講壇に椅子を置き、演奏を始めました。
これまでにも繰り返されてきた通り、モンゴル国は1990年にロシアからの独立を得ました。当時モンゴル全土には5人のクリスチャンしかいなかったと言われています。宣教師たちと通訳、運転手でした。モンゴル人はたった2人に過ぎませんでした。
17年経った今日、神様の驚くばかりの恵みによって、モンゴルには400の教会と約5万人の信徒がいると伝えられています。
9月、4人のモンゴル人グループ−プロ音楽家とダンサー3人と、アジア・アウトリーチ・モンゴルの主事バドマー師、通訳としてアジア・アウトリーチ・ジャパン宣教師の吉田隆師−が、日本の中心部でコンサートを行いました。
大阪で開かれた第7回世界宣教大会で、バドマー師は自らの回心の証しを話し、今日神様がモンゴルでなさっている御業について分かち合いました。
若い大学生の頃、バドマー師は熱心な仏教徒でした。彼の考え方は「私はモンゴル人なのだから、もちろん仏教徒だ」というものでした。クラスでは首席で、彼のゴールは大学教授になることでした。
バドマー師にはクリスチャンになった友だちがいました。この友だちはバドマー師にイエス様のことを熱心に証しし、その内容をめぐって2人は議論を繰り広げるほどでした。簡単に議論に負けるような人物ではないので、友だちに難しい質問をぶつけ、彼が誤っていることを証明してやろうと、バドマー師は聖書を購入しました。しかし驚くべきことに、友だちはバドマー師の質問全てに答えることができました。けれどもバドマー師は自分の敗北を認めようとはしませんでした。
ある夜、バドマー師は夢を見ました。その夢の中で、彼は戦争の只中にいて、死を恐れていました。自分が死んだ後、何が起こるのかわかりませんでした。その夢が頭から離れなくなりました。
その後、また別の友人が彼を教会に誘いました。最初の友だちの誘いには応答しませんでしたが、この友人の誘いを受け、彼の通う教会に出かけました。なんとこの教会こそ、彼の議論仲間が集う教会だったのです。バドマー師は彼ら2人の間に挟まれて座ることになりました。逃げ道がありません。
彼は人々はとても奇妙だと思いました。気が狂っているという方が的確な表現であったでしょう。ある人は手を上げ、ある者は泣き、またある者は笑っていました。しかし音楽は素敵で、音色と目に入ってくるOHPの歌詞の美しさに我を忘れるようになりました。それらは彼の心を捉え、正にそこで新生の過程が始まりました。自身の高い道徳的基準を誇りにしていたけれど、実際自分がどれほどプライドが高く、罪深い者であるかに気付き、泣きながら神の御国に入りました。自分自身のゴールを追い求めるために用いてきた強さは、この時、主イエス・キリストに仕えることへと移行されました。
1998年に当時アジア・アウトリーチ・モンゴルの主事であったリンダ・チン師の下で働きを開始し、現在はアジア・アウトリーチのモンゴルにおける働きの主事として仕えています。下記は彼が分かち合った証しの1つです。
警察で高い地位を手にした50代半ばの男性がいました。中国からロシアへの密輸などの犯罪ネットワークに関わっていました。ある時、その恩恵で手に入れたウォッカを飲み過ぎて意識不明に陥り、入院しました。その際、病院で彼が見た幻に、光に包まれた男性が現れ、次のように言われました。「あなたの着けているネックレスを取ってしまいなさい。そうでないとあなたは死んでしまうから」そのネックレスは、災いから守られ幸運をもたらすようにと仏教徒が身につけているものでした。
実際彼は意識不明の状態でしたが、その幻の内容があまりにリアルであったので、起き上がって叫びました。「イエス様!私を救ってください!」居合わせた医者や看護士は驚いて、彼をベッドに押し戻そうとしました。彼の気が狂ったのだと思ったのです。注射をして静めようと試みたものの、彼は本気で抵抗し、なんと病院を逃げ出したのです。走って走って家にたどり着きました。
彼の弟はクリスチャンで、正にその時、自宅でセルグループの集会を開き、兄のために祈っていました。走りこんできて、彼は弟に詫びました。「お前がクリスチャンだというので、いじめていたことを赦しておくれ」そしてイエス様を救い主として受け入れたのです。その後、警官の仕事を退職し、伝道し始め、教会が始められました。
ところで、彼の友人の1人にシャーマニストがいました。彼は霊的な影響力を持ち、人々に呪いをかけることなどを職業としていました。ある時彼は医者も手の施しようがないほどの大病を患いました。訪問を請われ、以前警官であった友人がやって来てみると、シャーマニストの彼は1週間も生死の境をさまよっているというのです。そこで彼のために祈ると、奇跡的に癒されました!彼はイエス様を主と受け入れ、救われました。そして、以前のように人々が霊的アドバイスを求めて自分の所へやって来ると、次のように伝えるようになりました「人々に呪いをかける代わりに、あなたにもっと良いものを教えてあげよう。私の友だちの所に行きなさい。彼はもっと良いことを教えてくれるよ」こうして彼は次々に人々を教会に送り、彼らはこの牧師の所へ助けを求めて行き、救われ、イエス様を受け入れたのです。そこに教会が建てられました。「わたしはこの岩の上に教会を建てます」こうイエス様が言われた通りに。
馬頭琴を奏でるアルタントゥグに、プロの喉歌を披露するバータージャヴが加わりました。その後、小さな穴が3つ開いた竹の棒のような楽器を吹き始めました。モンゴルの田舎に住む牧夫は、何百年もの間、この伝統的な楽器を用いてきました。
次にバータージャヴは、小さすぎて会衆にはよく見えない楽器を口にくわえました。その小さな楽器から出ているワイヤーをかき鳴らすと、ビョーンという音が聴衆全員を笑わせました。そして、20歳のタミールが、自然の荘厳さを賞賛するモンゴルの伝統的昔話を踊りで表現しました。
今回の一連の集会はアジア・アウトリーチの40周年を記念する活動でありましたが、このようなチームを日本に招いた本来の理由は、モンゴル文化に興味を持つ未信者の方々を誘う機会を設け、そこで福音と併せて、プロのモンゴル伝統音楽や舞踊を体験していただくことにありました。
町田クリスチャンセンターではこのようなことが起こりました。杉本師はご自身の反応を分かち合ってくださいました:私は、本当に聖霊様が力強く働かれる時、考えられないような奇跡がモンゴルで実際に起こっていることを聞き、衝撃を受けました。実は、私たちが現在の教会で牧会を始めたのが1989年ですから、モンゴルが開かれたのとほとんど同じ時期でした。けれども、人数も減ったり増えたりで、なかなか教会が成長しない苦しさを味わっております。けれども、教会が成長するのはプログラムとか人間関係とか、そういう問題ではなくて、聖霊様のお働きによるという確信が強く与えられ、感謝しています。
また、コンサートの日に、未信者のミュージシャンの青年が参加してくださいました。そして、コンサート後にモンゴル・チームに話しかけ、馬頭琴を弾かせていただいたりして、よい交わりを持っておられたようで、感謝しました。
みどり野キリスト教会の高校生、小林大介君は、こう話してくださいました:モンゴルのバドマー先生のメッセージ、また、証しを通して、いくつかのチャレンジを受けることができて感謝でした。特に受けたチャレンジは伝道についてです。先生自身が友達によって救われ、その後、弟に対して伝道し救われたことによって家族の救いも与えられた、という証しを聞いて、自分も家族に対して伝道する勇気と救われて欲しいという熱い思いが与えられ、今、家族の救いの確信が与えられるよう、取り組んでいる途中です。
また、先生のビジョンを聞いた時に教えられた事で「弟子を育てる」ということを強く示され、自分がまず訓練される必要があると教えられました。そして、自分も弟子を育てるに通用する器に成長できるように努力していきます。今回、とても大きなビジョンを神様から与えられ感謝しています。このように、モンゴルのチームを迎え、交わりを通して沢山の恵みと祝福を受けることができました。これからも、神様から与えられたチャンスを生かして、自分の成長と共に神様の素晴らしさを体験していきたいと強く感じ、またそう努めていきます。
町田聖書教会の吉永師は、次のようにおっしゃっています:
あの日、モンゴルの方々をお迎えした私は、一つのことを思い起こしていた。それは、30年程前、私達の教会に宣教報告に訪れた団体のスタッフが、「モンゴルにはクリスチャンが一人もいない」と、語っていたことだ。まだ子どもであった私は、促されるまま素直に「モンゴルの人がイエスさまを信じますように」と、祈った。長い歳月を経て、モンゴルからクリスチャンが、私たちの教会を訪問し、伝統楽器の演奏を聞かせ、さらに主イエスキリストを信じた証しをしていることは、幼い日の私の祈りに対する主からの応答であると嬉しくなった。
喜びや感動は、様々なカタチで残った。小学校の授業で教材として使えるということで馬頭琴などの演奏をビデオで撮影していた先生。「スーホーの白い馬」を教える時には、とても役に立つだろう。一流の演奏は、一流の音楽家ほどよくわかるのだと思う。隣の音楽院の先生は、「初めて聞いたけど、よかった」と目を輝かせて語った。個人的には、喉歌を真似てやってみたが、そのモドキ音は、不気味に流れるだけに終った。伝統は1日では継承できない。
今回、私は1990年代初頭に僅かであったモンゴルのクリスチャンが、今では日本にまでやって来て、キリストの福音を宣べ伝えている現実を目の当たりにした。だとするならば、もう少しクリスチャンがいるはずの私たちの国も世界に向かって出来ることがある。事実、「今度は、こっちがモンゴルに行ってみたい」という信徒の声があった。モンゴルの兄弟方が、とてもよい種を私達の教会に蒔いてくださったことに感謝する。そして、国を超えて素晴らしい出会いを与えてくださった主に何よりも感謝したい。
最後になりますが、私にとって最も印象的であったのは、彼らが私たち皆が大好きな曲「驚くばかりの」をモンゴルの伝統楽器で演奏し、モンゴル語で歌った時でした。
かつて忘れられ福音に閉ざされていたモンゴルの国で、わずか20年あまりの間に彼の教会が建てられたのは、主の驚くばかりの恵みによります。
あなたがアジア・アウトリーチにお委ねくださった、モンゴルにイエス様の救いの恵みをもたらすという働きに感謝いたします。この働きはここで終わりではありません。モンゴル人クリスチャンは、彼らの情熱を、ロシア、中国の内モンゴル自治区、更にモンゴルの西側にある旧ソ連でありはるか昔にはモンゴル帝国の一部であった国々まで携えていこうとしています。八尾福音教会の藤原師がコメントされたように、過去に繁栄を誇ったモンゴル帝国が今選ばれ、この時、御元にひきよせられているのは神様の大いなる憐れみによります。彼らは今、かつて自国を支配した国々へイエス・キリストの驚くばかりの恵みのメッセージを伝えようと、懸命に備えています。
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アジア・リポートNo.175 |
ミャンマーでは...「その価値は充分あります!」
「ミャンマーに行くと、本当に心が重くなるよ」とタイ在住宣教師数人から、予めこんな忠告を受けました。それでもなお、ミャンマーにおける進歩の欠けというものに対する備えはありませんでした。政治的には、暫定政権独裁者タン・シュエによる穏健派首相の逮捕といった出来事のとおり、ただ後退するばかりです。経済的には、中国のみならずベトナムやカンボジアの発展とも比べものになりません。首都ヤンゴンの大学教授の給与は、1年間に150USドル以下なのです。
ヤンゴンでは、タクシーの大部分が20年ものです。崩壊は激しく、その影響は教会にさえ及んでいます。あるアジア・アウトリーチのパートナーは、家の教会の集会を行なう上で賄賂を支払わなかったために1ヶ月間投獄されました。実際、魅力的な観光地はありません。市内観光を宣伝するホテルパンフレットには、次のように記されているほどです:「豪華なコロニアル様式建物がありましたが、今では全て荒廃しています…」
ミャンマーの外交関係は、東南アジアにおいてさえも緊迫状態にあります。進歩や改革不足は、しばしばその関係に辱めをもたらすものです。
クリスチャン統計学的にも状況は芳しくありません。ミャンマーにおけるクリスチャン人口は6〜7%です。しかしバーマ族やシャン族といったミャンマーの主要民族グループにおいては、キリスト教人口は150年以上に及ぶ欧米人宣教師の働きと、1963年以来その灯火を引継いできたミャンマー人の熱心な働きぶりにも関わらず、それぞれ
0.1%もしくは0.6%にすぎません。
2004年に行なわれた全教派牧師会議で、私はこの国で最高レベルの教会指導者たちに会いました。なぜか彼らは陽気で前向きでした。メソジスト教会司教のゾサン・マウィア師は、微笑んでこう説明してくれました「割合的にはクリスチャン人口はまだ6〜7%に留まっていますが、ここ数年伝統的な、名前だけのクリスチャンが沢山新生しているのが見られます。うちの教派の牧師も益々福音伝道に熱心になってきています」
ヤンゴンのチン・バプテスト宣教センターのロバート・ソン・レイ牧師も同意します「我々バプテスト派は最大かつ最も伝統的な教派です。かつては新生についての説教など誰もしないという時期がありましたが、今では徐々にですが、新生が強調されつつあります」
両者は口を揃えて、カリスマ派の動きが信仰の炎を燃やし、“古い教会”が失われた魂に手を差し伸べるための活力を与えてくれたと言います。「最初はカリスマ派に反対していたが、今は容認しているんですよ。私たちに一番欠けていた喜びと情熱を与えてくれましたから」2人は嬉しそうに話してくれました。
ミャンマーのアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の指導者であるミョー・チット師は言いました「中国やインドネシアのようではありませんが、私たちも成長しています。ヤンゴンだけでなく、北部の山岳部族でも勢いを増して成長しています」
2,200人規模の新会堂献堂準備中の彼はこう語りました「毎年数十人の現地宣教師を派遣しています」この指導者たちは、聖書学校や神学校に活力を与えることが最大のチャレンジだと認めています。「私達が産み出しているのは、今もなお伝統主義や律法主義に深く根ざしている働き人なのです。彼らの望むことと言えば、都会に住み、給料と地位のために働くことなのです。数万もある未開拓の村に出て行って、新しく教会を開拓しようなどというやる気のある者、またそのような備えが出来ている者はほとんどいません」
「ミャンマーの教会にとって大きな妨げになっているのは、信仰と聖さの不足です」マン・ザ・スアン牧師はこう話してくれました。師はGCI、また全教派牧師会議を組織する上で鍵となる人物です。
「アジア・アウトリーチのGCIのおかげで、前向きで現実的な変化が起きています。毎年200から300人の若い伝道者を訓練し、未開拓地伝道へ派遣します。彼らは炎・熱心さ・聖霊の力で満たされています。何よりも彼らは実を結んでいますよ!」過去2年間で、GCI卒業生が開拓した教会は130以上にのぼります。
また、牧師会議も影響を与えているものです。4日間開催された今年の会議には約400人の牧師および指導者が出席しました。私はリーダーシップ、ビジョン、油注ぎについて教えました。講義の終わりには皆が新たなビジョンを得、神の新鮮な油注ぎを求めて立ちあがり、主の働きのために再献身しました。
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アジア・リポートNo.161
CBSの働きからの方向転換
ブーンヤーン・チャイプラセルト師
チェンライ聖書神学校長
2004年5月25日、チェンライ聖書神学校(CBS)の新年度が始まりました。カリキュラムは学びと実際的な働きの双方に重点を置いていますので、20人いる学生たちは毎週末チェンライ県にある地域教会で奉仕しています。学生は1学期間を通して、1つの教会に関わっていきます。日曜学校、聖書研究、ワーシップの導きや説教といった様々な方法で教会を支えるのです。これはCBSが教会や地域社会に仕え、その必要を満たしていく機会となります。同時に学生たちも尊い経験を得、教会における本当の必要を学ぶことができます。この経験は、後に彼らが出て行って教会開拓する時の為の備えとなります。2学期になると異なる必要がある別の教会へと遣わされるので、新たに学ぶ機会を得られるわけです。
学生:
CBSの方針変更により、今年度の学生数は昨年度よりも少ない人数になりました。授業費を有料にしたからです。部族グループも含めて多くのタイ人は、あらゆるクリスチャン活動が無料であることに慣れてしまい、経済的に余裕があっても経費を払わないといった状況を産み出したのです。この状況はCBSにとっての負担になりました。しっかりとした態度を取ることで、学生と家族が自分たちの教育の責任を受け入れるようになることを願っています。
にも関わらず、近頃追加で与えられた6人を含めて学生数はなおも増加しています。20年間の働きを通して、部族出身の若者訓練において成功を収めているとの評判も築かれてきました。訪問する先々で、私たちの成した働きは認められています。今ではこういったグループの大多数が自分の村に教会を持ち、村人の80%がクリスチャンとなっています。そんな教会の多くは、CBSの卒業生によって建てられました。学生たちは地域教会や部族伝道をしている団体からサポートが得られることを私は知りました。こうすることでそのような団体は、自分たちがサポートする学生および将来の教会開拓の確定権利を得られるのです。現在チェンライ県で部族伝道をしているクリスチャン団体は356あります。このような団体数の増加や彼らの伝道成果を見、私たちのフォーカスは都会に住むタイ人へと変わってきています。都会でのクリスチャン人口は未だ1%に至っていないからです。
スタッフ:
今学期、3人の新しいスタッフとオーストラリア人のボランティア講師が与えられましたので、学生たちに更に多くの科目を提供できるようになりました。また、6つの学位レベルも教えられるようになり、学生にとっては大きな利益です。
教会開拓:
2年生で19歳のニミットは、2つ目の教会であるタントン教会(平和の教会)を開拓したばかりです。チェン・セン近くにある村でのモーン族に対する働きです。7月10日に行われた献堂式にはおよそ200人が出席しました。その日CBS卒業生のアクアが信任を受け、この教会を牧会することになりました。韓国の長老教会がこの働きを支え、教会堂の資金を融資してくれました。
モーン族のためのこの教会開拓の成功ゆえに主をほめたたえます。また、都会でのタイ人地域社会へのアウトリーチの扉が開かれるよう、私たちと心を併せて、皆さんも是非お祈りください。
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アジア・リポートNo.159 |
ヒマラヤ
ネパール
5,000円で何ができますか?
サンガム
アジア・アウトリーチのネパール・
ミニストリーのコーディネーター
ガネシュは29歳の若者です。ネパール中西部ルクム郡の、ある辺鄙な村の出身です。彼には生まれつき障害があります;片足が不自由なのです。幼少時に杖の助けで片足を引きずって歩くことを学びました。子どもの頃は村の子どもたちとの付き合いはなかったものの、家族から沢山の愛を受け、大事に育てられました。しかし成長するにつれ、ガネシュが仕事を見つけることも、家の農業の働きも手伝うことも出来ないために、家族の者たちは彼を重荷と見なすようになりました。両親さえも「この世の重荷だ」と彼を責め、「そういう人間は他人に迷惑をかけるより死んだ方がましだ」と言いました。
ネパールの、特に山岳地域や人里離れた地域では、人々は15歳といった年齢で結婚します。20歳を超えた女子・男子は結婚相手を見つけるのが難しくなります。ガネシュの兄弟姉妹全員もその年齢になる前に結婚しました。足が不自由なため収入源がなかったので、誰もガネシュと結婚しようとは考えず、このために彼は自分が家族と社会の重荷だと考えるようになりました。自殺を考えましたが、考えを変えて代わりにカトマンズへ行く決心をしました。カトマンズでなら生計をたてるチャンスがもっとあるだろうと考えたのです。
そこで小さなかばんに荷物を詰め、夢の町カトマンズ行きのバスに乗り込みました(ネパールではハンディキャップがある人は無料でバスに乗ることができます)。バスの運転手は彼に情けをかけ、自分の食事を分けてくれました。カトマンズに着くとすぐに仕事探しを始めましたが、この大都市には彼の居場所はないということにすぐに気付き、結局、道で物乞いをするようになりました。彼があまりに貧しい状況にいたので、ストリートキッズ(若いホームレスの物乞いたち)さえもが可哀想に思い、自分たちが見つけた食べ物を分けてくれました。誰もガネシュを受け入れてくれない時、ストリートキッズたちが彼を受け入れ、友だちになってくれました。ある日、アジア・アウトリーチの食料配給プログラムに来ていたストリートキッズの何人かが、ガネシュを連れてやって来ました。彼はそのプログラムを行っているAOチームや教会ボランティアのメンバーのうちに何か異なるものを感じました。食べ物だけでなく受容・尊重されることを得ると同時に、キリストの愛を見出したのです。
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2006年8月、ガネシュは毎週土曜日に教会の交わりに来るようになりました。キリストの愛が彼のうちに働き、また教会の兄弟姉妹たちの励ましを得て、彼はセルフイメージを取り戻し始めました。自分の面倒を見、身だしなみを整え、清潔であるよう気を配るようになりました。たとえ衣服が破れていたとしても、常に清潔でアイロンがかけられていました。キリストを受け入れた6ヶ月後、彼は洗礼を受けました。
洗礼後、牧師と私は彼にこう尋ねました、「兄弟、僕たちは君のことを本当に愛しているし、君に自分の足で立ってほしいんだ。どんなことでもいい、どうしたら君を助けられるか言ってくれないか」彼は次のように答えました:「僕は社会に見捨てられていたのに、先生方がこのコミュニティに僕を入れてくれました。僕は無視されていたのに、先生方は僕を愛してくれました。何の分野にも何の経験も全くありませんが、破れた服を直すことはできます。だからミシンが手に入ったら、生計を立てられると信じます」
教会の助けを得て、我々は彼のために中古のミシンを買いました。わずか3,500ネパール・ルピー(約5,000円)でした。彼の最初のプロジェクトは聖書カバーでした。最初の週に5枚、第2週目には8枚のカバーを売りました…ガネシュは自立出来るということで大喜びでした。自立できただけでなく、教会に什一や献金を捧げるようにもなりました。
5,000円という額は、ある人々にとっては大した意味がないかもしれません。しかしこの5,000円はガネシュの人生に新しい意欲を与えたのです。彼は見下されていましたが、今では尊厳が与えられました。広い都市でさまよっていましたが、今ではアイデンティティが与えられています。
昨年9月、ガネシュはもう1つの大きな1歩を踏み出しました。出身地の村へ帰ることに決めたのです。自分が見つけたキリストの愛を、家族や村の人々に分かち合いたかったのです。彼は私に言いました「僕がこの数ヶ月間に学んだことを家族や友人たちに分かち合うことで、御国の種まきをしたいのです。残された人生ずっとイエス様に従っていきますから、心配しないでください」そして中古ミシンと聖書を抱え、彼は家への長い旅路に着きました。
彼を止めませんでしたが、村の近くにある教会を紹介しました。どうか私たちと心を併せて、家族や村人たちの救いのために神様がガネシュをお用いくださるようお祈りください。
アジア・リポートNo.176
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反政府国民全員の一掃を目的とした10年間の強硬路線的社会主義政策の後、1990年にベトナムが外の世界にドアを開けてから、15年以上が過ぎました。70年代、80年代にリバイバルのごとく人数増加を経験した政府公認教会は、90年代には40年も時代遅れの運動であるかのように思われました。合計50万人のメンバーシップ登録を持つ公認教会は、政治的規制に抑えつけられるようになり、牧師たちは政府の強制的規制を恐れ、麻痺してしまいました。しかし最も驚くべきことは、家の教会運動の成長でした。公認教会から強制的に出され、隠れる場所もなかった彼らは、クリスチャンの活動全てを支配しようと固く心に決めた政府の権威による迫害に常に直面しました。しかし迫害が厳しいほど、家の教会は増加していきました。ベトナム中に散在する家の教会が象徴するとおり、今では10万人前後の信徒がいます。
アジア・アウトリーチは1990年に、この緊迫した状況に参入しました。現地のクリスチャン指導者に会ううちに、教会は訓練と聖書を渇望していることを知りました。何千冊もの聖書と新約聖書を運ぶボランティアを世界中から集めて組織し、アジア・アウトリーチ・ジャパンも参加しました。1995年には移動型指導者訓練プログラムであるGCI(大宣教命令学院)をベトナムで開始し、過去10年間でおよそ2,000人の教会開拓者を派遣しました。地下印刷所での、弟子化に関する書籍の印刷も始まりました。2004年にはライオン社から出版されている『子供のための365の聖書物語』を、後には新聖書注解書を公式に出版する許可を得ました。我々の目的は、倍増可能で再生可能、かつ全国的なプロジェクト・プログラムを設立することでした。これらのプロジェクトやプログラムは現在どこにあるのでしょうか?人々の手の中にあるのです。教会は現地レベルで訓練を行っており、我々が受ける最大の報酬は、働きから身を引くことなのです。
アジア・アウトリーチ・インターナショナルとして最初のチームをベトナムに派遣してから10年が過ぎた今、神様は何か新しいことをしようとされていると感じます。何年もの間、共産主義による鉄の束縛の中にいましたが、今ベトナムには、社会的・経済的改革の時が訪れています。国としてアジア市場の中に居場所を捜し求めており、教会に対して取られてきた無情なやり方は、多少緩和されてきました。クリスチャン指導者や教会開拓者はこの変化を敏感に察知し、大胆に活動のペースを速めています。個人的な伝道目標を高く設定し、聖霊様がドアを開かれる所に従っていきます。昨年のクリスマスだけで、アジア・アウトリーチ・インターナショナルは6万部の福音メッセージトラクトを印刷し、北ベトナムで配布されました。
同時に、神様は10年間の成長の後に自己満足に陥っている教会を改革しています。今この時の危険は、私たちがいつもしてきたことを繰り返すことだと気づかされています。今こそがベトナムにとっての転換点だと信じます。ですからこの節目の時、過去の成功や達成は整理して、神様のご計画を求め、ベトナム国民とこの国の将来を勝ち取るために新しい方向に進んでいく必要があるのです。
アジア・リポートNo.172
インドネシア人をキリストの元に導き、国々のための収穫者を育てる

インドネシアは17,000ある群島のうち6,000の有人島に2億4千万もの人が住む国です。西はアチェから東のジャヤプラ(パプア州)まで合計4,800Kmの距離があり、それはシンガポール・北京間の距離とほぼ同じです。750の民族グループが存在し、2億人以上の人がまだ救われておらず、約127の民族グループは未伝のままです。人口の多さと地理的要因は多くのチャレンジを与えています。加えて、何年もの間、社会的、経済的、政治的また宗教的動乱によって危害が与えられてきました。この国で働きをしたいと願う団体には仕事が山積しています。
5つのパンと2匹の魚(5L2F)という組織は1999年ヨセフという若い男性によって、彼が大学2年生であった1986年に受けたビジョンの成就として開始しました。最初は薬物更生センターが始められ、その後まもなく薬物依存であった人々を第1期生として
宣教学校もスタートしました。全ての働きは高い丘に建てられた 建物に基盤をおいています。
5L2Fの使命
5L2Fの使命は、大宣教命令と大いなる戒めをまっとうすることにあります。宣教学校は人々に神様の炎を運ぶ役割を担っています。更生センターは患者の保護施設です。無料の医療施設と災害救援の働きは、キリストの憐れみによって人々の人生に変化をもたらします。福音はここでよい働きへと接ぎ木されています。
5L2Fの働き
• 教会開拓者と伝道者を訓練する宣教学校
• 郊外と都市での教会開拓
• 無料の医療施設
• 薬物依存者と精神病患者のための更生センター
• 災害救援の働き
大宣教命令の働き
宣教学校は1999年に西ティモール出身の2人の学生と共に開始され、2000年には既に60人の学生が与えられました。卒業生の大部分は10代後半で、1年間の訓練の後に宣教現場へと分散していきます。2001年末までに卒業生100人がカリマンタンの様々な地域に遣わされました。2002年には学生はインドネシア南東の島々へ派遣されました。これまでに約330人の学生が訓練を受けました。
このような伝道者や教会開拓者の働きを通して、大人・子供を併せて1万人が救われたと推測されています。現在、教会開拓は8つの中枢に重点が置かれています:
チゥバンマング、プジョン, クアラクルン(カリマンタン), ジャンビ (スマトラ), ジョグジャカルタ(ジャワ), ボゴール (ジャワ), ベナ,オエサオ (東ヌサトゥンガラ).
大いなる戒めの働き
更生センターは精神的問題を抱えている多くの人々にとっての避難施設であり、薬物依存者にとっては薬物濫用からの回復の場所です。2001年にはスーダン人地域社会のための無料医療施設が設立され、2004年から2006年までに1万人の患者に医療措置を行いました。また人道的危機の際には避難民や被災者に仕えました。東ティモール危機の間、2001年には避難民への医療救援を行いました。
その他の医療救援活動:
今後3年間の目的(2007‐2009)
大宣教命令:
1. 田舎教会の開拓:1年に150の家の教会を開拓する。200人を収容できる会堂を毎年
3つ建設する。
2. 都市部の教会開拓:毎年2つの都市部教会を建て上げる
3. 宣教学校:人材の発掘、訓練、および毎年50人の学生を派遣する
4. 外国人学生の訓練:2007年‐5名、2008年‐5名、2009年‐15名
大いなる戒め:
1. 毎年3,500人に治療を行う
2. 自然災害被災地域で5,000人に医療救援を行う
力量の拡大
1. 2009年までに第2レベル指導者として7人を育成する
「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、
それから、終わりの日が来ます」(マタイの福音書24:14)